代表的な江戸伝統園芸植物
◆古代から中世のツツジ ― 万葉集に見る観賞文化
ツツジは日本に自生する植物で、その原種は約40種にも及びます。古くから観賞の対象とされており、奈良時代の歌集である『万葉集』(759年頃)にもツツジを詠んだ歌が残されています。
◆江戸のツツジ ― 元禄の大ブームと伊藤伊兵衛
江戸時代に入ると園芸ブームが起こり、当初流行したツバキやボタンに続いて、ツツジが大きな脚光を浴びます。特に江戸時代中期、1680年代の元禄年間には、「江戸中が熱狂」するほどのツツジブームが到来しました。当時の愛好家たちは、名花を求めて薩摩(鹿児島県)や南西諸島など遠方まで手を伸ばしました。
このブームを牽引したのが、染井村(駒込)の植木商、三代目・伊藤伊兵衛です。彼は薩摩からキリシマツツジを導入し、屋号を「霧島屋」と名付けました。その評判は江戸の住民だけでなく、参勤交代の武士を通じて全国に広がり、ツツジの流行に大きく貢献しました。伊兵衛は普及活動にも熱心で、ツツジ専門書『錦繍枕』を発行し、ツツジ173種、サツキ162種もの品種を紹介しています。
◆江戸後期のツツジ ― 名所と庶民文化
元禄の大流行後もツツジ類は安定した人気を保ち続け、江戸中期から幕末にかけては、大久保百人町(現在の新宿区)がツツジの名所として有名になりました。下級武士が生活の足しとしてツツジを栽培する例も多く、これが庶民もツツジを身近に楽しむきっかけとなりました。
◆近代から現代のツツジ ― 品種改良と世界への広がり
幕末の天保年間には、久留米藩士・坂本元蔵によりクルメツツジ群が作出され、記録上750もの品種が生まれたことで、ツツジの品種改良はさらに進化します。また、幕末から日本のツツジが海外に伝えられると、ヨーロッパで中国原産種などと交配され、ベルジアン・アザレアなどの品種群の元となり、現在も世界中で改良が続いています。今も昔もツツジは春を彩る花として愛され続けています。
ツツジ
ツツジとサツキの違い
花のつき方など植物としては同じ仲間ですが、サツキは咲く時期が遅く、ツツジが終わった後の5月から咲き始めるという、花期の違いで区別されています。ツツジよりも花柄が豊かで生長が遅いので、庭木や盆栽として発達しました。
花びらにある斑点模様の意味
ツツジの花びらは5枚ですが、どの花にも必ず、上側の1枚だけにボツボツの模様があります。色の濃い花にもよく見ると必ず見つかります。
この模様は、昆虫に蜜のありかを教えるためのもので、「蜜標(みつひょう)」と言います。蜜はこの花びらの元にあって、昆虫はこの模様を目印にやってきます。さらにこの蜜を吸うときに、昆虫は雄しべや雌しべに乗るために、ツツジの受粉が確実なものとなります。
六義園で観賞できるツツジ
六義園は、元禄15年(1702年)に柳沢吉保によって築かれた300年以上の歴史を持つ大名庭園です。
築造時期がちょうど元禄時代のツツジブームと重なり、江戸の園芸中心地である染井(駒込)に隣接していたことから、数多くのツツジが導入されました 。
六義園の大きな特徴は、この江戸園芸文化を伝承している点です。園内では、本霧島や八重霧島といった古い品種の古木に加え、ドウダンツツジ、ヤマツツジなどの野生種も観賞できます。 4月上旬の開花から始まり、5月上旬の大紫が最後を飾るまで、色とりどりのツツジが次々と咲き誇り、長期間にわたり華やかな景色を楽しませてくれます。
(花の時期は年により変わることがあります。詳細は、六義園にお問合せ下さい。)
江戸キリシマ系





オオヤマツツジ系

リュウキュウ系




オオキリシマ系


自生種のツツジ






