代表的な江戸伝統園芸植物
◆古代から中世の桜 ― 日本人を魅了し続ける花
日本の春を告げるサクラは、古代より人々の生活と深く関わってきました。最古の歌集『万葉集』の時代は中国から渡来したウメが主流でしたが、平安時代にはサクラが主役となり、吉野山などが貴族の花見名所となります。鎌倉・室町時代には、ヤマザクラや関東の野生種オオシマザクラなどを交配させた八重咲きのサトザクラ品種が作られ、豊臣秀吉の「醍醐の花見」に見られるように、武士も花見を楽しむようになりました。
◆江戸の桜 ― 殿様の庭園と品種の全盛期
戦乱を避けて多様な品種が江戸に伝わると、江戸時代には将軍の花好きも相まって、参勤交代などで各地の珍しい変わり花が集められ、品種の選抜・増殖が盛んに行われます。この時代のサクラといえば、ヤマザクラやサトザクラで、現存するサトザクラ系の品種の大半は元禄時代(1688〜1704年)に生まれました。八代将軍吉宗の孫・松平定信は別邸「浴恩園」に品種をコレクションし、図譜『花の鑑』を残すなど、寛政から天保にかけての約60年間はサクラの全盛期で、品種数は300を超えたと言われます。
◆江戸の桜文化 ― 庶民の花見と名所の誕生
また、江戸時代に庶民も花見を楽しむようになり、八代将軍吉宗は享保の改革の一環として、隅田川堤、品川御殿山、王子飛鳥山、そして玉川上水の小金井橋周辺などにサクラを植え、行楽地を整備して花見を奨励しました。これにより、庶民は憩いの場として花見を愛好し、その人気は絶頂に達します。
◆近代から現代の桜 ― ソメイヨシノの誕生と普及
江戸時代末期から明治にかけて、 現在サクラの代名詞となっているソメイヨシノが染井(現・巣鴨周辺)で改良されました。このソメイヨシノは成長が早く、花付きが良いのが大きな特長です。この時代の風潮にも合い、明治維新によって江戸の屋敷や名園のサクラが失われる中で、全国に競って植えられるようになりました。その結果、現在では植栽されているサクラの8割をソメイヨシノが占め、サクラの代名詞的存在となったのです。
サクラ
変幻自在のサクラの花
サクラの花びらの数は、基本は5枚です。では、たくさんの花びらのある八重咲きの花びらはどこからきたのでしょうか。
その正体は、雄しべや萼が変化したものです。サトザクラの品種の一葉(イチヨウ)などでは、面白いことに雌しべが小さな葉に変化しています。
一重咲き(染井吉野)
花びら5枚、雄しべ約36本
八重咲き(普賢象)
花びらは40〜60枚。雄しべや萼が花びらに変化
菊咲き(梅護寺数珠掛桜)
花びら60〜90枚、八重咲きが二段咲きに
小金井公園で観賞できるサクラ
小金井公園は、江戸近郊随一の桜の名所「小金井桜」(玉川上水沿いのヤマザクラ並木)の伝統を受け継ぐ名所です。
この「小金井桜」は、享保の改革の際、徳川吉宗の命により川崎平右衛門定考が元文2年(1737年)に約8kmにわたり約千本のヤマザクラを植樹したことに始まります。歌川広重の『江戸近郊八景』にも描かれ、庶民の花見名所として人気が絶頂に達しました。
現在の公園にはヤマザクラ、ソメイヨシノ、サトザクラなど約50種・約1400本が植えられ、2月下旬の早咲きから5月上旬まで長期間にわたり桜を楽しめます。春の「サクラまつり」には多くの人で賑わいます。
(花の時期は年により変わります。詳細は小金井公園にお問い合わせください。)
サトザクラの仲間
野生種
