ページの先頭です

文字サイズ

背景色

ここから本文です

トップ > クローズアップ >  芝公園 開園 150周年

芝公園 開園 150周年

2023年10月19日、
芝公園は150周年を迎えます

今では誰もが利用したことのある「公園」ですが、その西洋から取り入れた空間概念が日本に導入され、実際に設置されたのは明治初期にさかのぼります。
芝公園は、1873(明治6)年に日本で最初に指定された5公園の一つ。設計当初より、人々が分け隔てなく楽しめるような、特に庶民や子どもたちの利用を念頭にした公園づくりが行われてきました。
こちらのページでは、時代を越えて多くの人々に親しまれてきた芝公園の変遷の一端を、園内の「おすすめスポット」とともにご紹介します。
是非、この記念すべき年に芝公園にお越しください。環状の園内に散りばめられた「おすすめスポット」が、みなさまの来園をお待ちしております!

芝公園に関連する記事・イベント等はこちら!

1.芝丸山古墳(1号地)

1号地には、4世紀後半に築造されたと考えられる芝丸山古墳が現存します。その規模は全長約106m、都内最大級の前方後円墳です。古墳の東南斜面には、さらに古い縄文時代中期後半のものと推定される丸山貝塚があり、先史時代から芝公園周辺に人が住み、4世紀後半には、ヤマト王朝と繋がりをもつ有力者がこの地を治めていたことが推測されます。
1897-1898(明治30-31) 年には人類学者・坪井正五郎つぼいしょうごろうによる本格的な発掘調査が行われ、その結果、芝丸山古墳と周辺にある小円墳群存在することが明らかになりました。この調査には、坪井の推薦者に福澤諭吉が、芝公園の生みの親である長岡安平の姿も調査記念写真から確認でき、多彩な面々が関わっていたことが伺えます。
調査開始と同時期に刊行された「新撰 東京名所図絵」には花見客で賑わう芝丸山古墳の図と坪井による調査についても触れられています。東京湾が見渡せる眺望の良い墳丘は、桜の名所として近代の人々にも親しまれていました。

芝丸山古墳調査記念写真
「芝丸山古墳調査記念写真」個人蔵
学習院大学史料館寄託阿部家文書
石の上に立つ坪井正五郎。その左に写っているのは芝公園の設計者、長岡安平。
新撰 東京名所図会 第七編 芝公園丸山の図
「新撰 東京名所図会 第七編 芝公園丸山の図」 所蔵:法政大学 江戸東京研究センター

2.長岡安平ともみじ谷(19号地)

芝公園及び、もみじ谷の設計者である長岡安平は、1878(明治11)年に東京府に奉職し、その後東京各地の公園設計を手がけた人物です。
もみじ谷は、1881(明治14)年まで天然の滝や湧水があった、この土地特有の自然の地形を生かしており、自然の趣を大事にする長岡の設計思想が反映されています。
もみじ谷と隣接する18号地には、1925(大正14)年に長岡安平が死去するまで住居とした「長柏園」がありました。もみじ谷を設計した1905(明治38)年には既に全国各地の公園を手がけてきた長岡ですが、この地に特別な思いがあったことは想像に難しくありません。もみじ谷は、震災・戦災の影響を受け一部崩壊や土砂流出等がありましたが、1984年、1993年、2020年に行われた改修工事により、完成当初の景観を復元しています。これまでの仕事の集大成ともいえる長岡安平の作風を体験できる芝公園を代表するおすすめスポットです。

「竣工当時の滝の様子」所蔵:(公財)東京都公園協会
「長柏園跡」かつて芝公園内には府知事官舎を始めとした多くの建物があり、長岡は府知事官舎脇に居を構えていました。1927年の長岡の3回忌に記念碑と石柱が建立されました。

3.ぺルリ提督の像(10号地)

増上寺の向かいに位置する10号地に佇んでいるのは、黒船来航で知られる江戸時代末に日本の開国を迫ったペリーの像です。
1953(昭和28)年、「開国百年祭」に際し、ペリー提督の出身地であるアメリカ合衆国・ロードアイランド州ニューポート市に東京都が石灯籠を贈り、その返礼として親善の印に贈られたものと云われています。
1854(嘉永7)年、ペリー艦隊が2度目となる浦賀に来航した際、日本側(浦賀奉行所)とアメリカ側(ペリー提督)の会話は、浦和奉行所の通訳・堀達之助がオランダ語ができたことから、ペリー側がオランダ語のわかる通訳・ポートマンを間に立てたため、ペリーではなく、ペルリとオランダ的な発音で日本に伝えられたのです。

「ペルリ胸像除幕式の様子」1960年 所蔵:(公財)東京都公園協会

4.こども平和塔(4号地)

結核療養所初代所長や日本結核病学会会長などを務めた内科学者・田澤鐐二たざわりょうじが中心となり1954(昭和29)年に建設されました。
息子3人を太平洋戦争で息子3人を失った田澤は、戦後の混乱の中、子どもたちが生きることの目標をもち、世界平和の理念を後世に伝えることを目的とした「こども平和塔」を子どもたちと建てたいと全国の小・中学校の児童会・生徒会に呼びかけました。
7年間かけて、全国1051校の児童・生徒が古新聞等の廃品回収、お小遣いを節約して集まった資金は、約100万円(現在の換算で約3500万円~5000万円)。更に、その目的に共鳴した多くの会社や社会事業団体、個人からの寄付もあり、集まった総額は500万円にも及びました。塔には、「戦争の痛手をきびしくうけた、わたくしたち日本の少年少女は、人類永遠の平和をねがうやむにやまれぬ心のしるしとして、ながいあいだかかってこの塔をたてました」という子どもたちの言葉が刻まれ、上部には平和のシンボルである3羽の鳩が舞っています。

5.万延まんえん元年遣米けんべい使節記念碑(10号地)

1860(万延元)年、新見豊前守正興一行は日米修好通商条約批准書交換のため、江戸・竹芝より米艦ポーハタンに乗り、初の使節として米国に赴きました。芝公園に程近い海岸から出発したことを記念し、建設されました。ちなみに米艦と一緒に航海したのが、咸臨丸かんりんまるで艦長は勝海舟、通訳はジョン万次郎、また福沢諭吉も乗船していました。

2017年に撮影した記念碑
「遣米使節記念碑」1964年 所蔵:(公財)東京都公園協会

おすすめスポットを地図で確認!

気になるところから訪ねてみてください

おすすめスポット

ページの先頭へ戻る