ジョサイア・コンドル最晩年の作で、大正6年5月に竣工しました。躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われ、屋根は天然スレート葺き、地上2階・地下1階となっています。
大正12年9月1日に発生した関東大震災では約2千人の避難者を収容し、虎之助夫妻が引き払った大正15年7月以降は貴賓の為の別邸となりました。昭和14年頃には後 に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在し、戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収され、また戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用されました。(東京公園文庫「旧古河庭園」より)
ジョサイア・コンドル設計で、左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園と、石の欄干や石段・水盤など、立体的なイタリア露壇式庭園の技法を合わせバラと洋館と調和した絵画的な景観美となっています。
小川治兵衛作庭で、心字池を中心に枯滝・大滝・中島を配しています。冬のマツの雪吊とこも巻・ソテツの霜除は風物詩となっています。また夏の大滝の水音と秋の紅葉もおすすめです。
水を使わないで山水の景観を表現する「枯山水」の道具立ての一つが枯滝。心字池の洲浜の奥の渓谷に、御影石や青石、五郎太石などで造られています。
10数mの高所から落ちる滝。園内のもっとも勾配の急な所をさらに削って断崖とし、濃い樹林でおおって深山の渓谷の趣をだしています。
曲折した流れから始まり、数段の小滝となり最後は深い淵に落ちるという凝った造りです。以前は井戸を水源にしていましたが、水源が枯渇し、現在は井戸水と池水の循環でまかなっています。
京都に多く関東では珍しい崩石積と庭門で仕切られた茶庭の中に、茶室があります。
春と秋のみ、抹茶を出しており、お茶席利用のかたのみ入室可能です。
問い合わせ先:(公財)大谷美術館 TEL3910-8440
日本庭園への入口はシイを主体にした濃い植込で、明るい洋風庭園とは雰囲気が一変します。さらに奥は、シイ、モチノキ、ムクノキ、カエデなどで構成され、この庭園で一番深い植込になっています。周りは渓谷でえぐられ、深山幽谷の観を呈しています。
「心」の字に似せて造った池で、日本庭園の中心。鞍馬平石や伊予青石などで造られ、「船着石」があります。ここは池を眺めるための要となる所で、正面には「荒磯」、雪見燈篭、枯滝、石組、そして背後には築山が見られます。