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かわら版 バックナンバー

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唐門

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後楽園への正式な入口門で、後楽園の観賞動線の起点となる門。
私的空間である内庭と、後楽園を隔てる役割を果たしていた。
戦火により焼失したが、2020年末に復元が完了した。

得仁堂

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光圀の本意を現した堂。
光圀18歳の時、司馬遷『史記』の「伯夷列伝」を読み、伯夷、叔斉の高義を慕い、泰伯の像とともに二人の像を安置した。
堂名は、孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁 (仁を求めて仁を得たり)」(『論語』述而第七の十四)と語ったことに由来する。
建立当時の姿を残す園内唯一の建物。

大泉水

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本園の中心的景観。徳川家光自ら泉水の形を描いたと伝わる。
蓬莱島を配し、琵琶湖を表現した景色を造り出した。
また、本園を構成する4つの要素「海」「山」「川」「田園」のうち「海」を表す。

円月橋

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水戸徳川家2代藩主光圀により、賓師(客分として待遇される師)として招聘された明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋。
水面に映る姿が満月のように見えるので、この名がつけられた。
沖縄・九州地方を除く地域の中では最古級とされる。

蓬莱島(中の島)

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大泉水に浮かぶ島。
神仙思想に説かれる蓬莱山を表す工夫として、各地の庭園に設けられている。
本園では、亀の形をとっており、亀頭石は「徳大寺石」と呼ばれる。
島内には弁財天の祠がある。(渡島不可)

稲田

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稲田は本園北側地域の「田園の景」を構成するもののひとつ。
光圀が、農民の苦労や農業の尊さを彼の嗣子綱条の夫人に教えるために作ったとされる。
毎年文京区内の小学生による田植えと稲刈りが行われ、光圀の教えを継承している。

大堰川

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徳川家光の好みであった山城国(現在の京都府南部)の大堰川を写したもの。
家光が川の石に腰掛けて造成の指揮を執ったといわれる。
川の上流には「通天橋」、下流には「渡月橋」がそれぞれ架かる。

西湖の堤(さいこのつつみ)

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中国の西湖、蘇堤を写したもの。かつて白い蓮が植えられていた。
日本の庭園で最初に西湖の堤が表現されており、本園を歴史的かつ景観的に特徴付ける重要な庭園構成要素の一つ。

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