特集コンテンツ 橋をめぐる隅田川~水上散策 水上バスに乗る~両国から浜離宮まで

暑さも和らぎつつありますが、まだ東京の残暑は続きそうです。
そんな夏の終わりには"隅田川の歴史的財産にふれながら、涼をとる"はいかがでしょうか?
今回の特集は、東京を代表する川から、ちょっと素敵なお出かけをお届けします。

隅田川にかかる橋 勝鬨橋 永代橋 清洲橋

東京水辺ライン(水上バス)

「橋梁への想い」

東京を代表する川、隅田川。
多くの文人・画人たちを生み出し、浮世絵や錦絵、芝居に描かれてきました。また、工業や水運の中心として活用もされてきました。江戸以来、身近であるがゆえに、恩恵と対峙を経て、今日の隅田川、そして庶民の姿があります。
その隅田川に架かる「清洲橋・永代橋・勝鬨橋」の3橋が、国の重要文化財(建造物)に指定されました。清洲橋と永代橋は、関東大震災後の帝都復興事業のシンボルとして、勝鬨橋はわが国で最大規模の跳開橋として、いずれも当時の最先端の技術を駆使して建設されており、橋梁技術史上、非常に高い価値と他に例を見ない希少性があります。

東京水辺ラインが行っているテクニカルツアーでは、この3つの橋の紹介をしています。例えば、女性美と言われている華奢な印象のある清洲橋と男性的で悠然としている永代橋。ところが、総重量で500トンも清洲橋の方が重いのです!この2つの橋の重量は、復興事業で架けられた橋梁の中でも群を抜いているということもありますが…続きは"人と水辺をつなぐ"東京水辺ラインで!!

清洲橋

竣 工:
昭和3年3月
所在地:
中央区日本橋中洲と江東区清澄1丁目を清洲橋通りで結びます。
名 称:
公募により両岸の「清」と「洲」からとられました。もとは「中州の渡し」。

下流の永代橋と対をなす橋として「震災復興の華」と呼ばれた優美な吊り橋です。世界で最も美しいとされたドイツ・ライン川のケルンにある吊り橋をモデルにしています。当時、隅田川の玄関であった永代橋の次に位置し、特に美観に気を使って、文人・画人などを招いて助言を受けたそうです。
男性美の永代橋に対して、清洲橋は女性美なシルエットの代表と言われています。しかし、そのシルエットに反して、近くで見るとその構造は非常にガッチリとしており、青色の塗装色とも相まって骨太な印象を受けます。
隅田川の橋はライトアップされているものがあり、清洲橋もその一つですが、やはり女性美を意識してか、ライトアップはピンクです。

永代橋

竣 工:
大正15年12月
所在地:
中央区新川1丁目と江東区永代1丁目を永代通りで結びます。
名 称:
江戸幕府5代将軍徳川綱吉の50歳を祝し、徳川幕府が末永く代々続くように名付けられた(元禄11年)と言われています。もとは「深川の渡し」。

「西に富士、北に筑波、東に上総、南に箱根」と称されるほど見晴らしの良い場所であったと言われています。この橋は、放物線状の大規模アーチを中心とする荘重な造形により、近代的橋梁を実現しており、アーチは幅1.5m以上もある鋼製で、その裾は、ゆるやかな曲線でまとめられています。豪快かつ優雅なデザインは近づくほどに圧倒されます。「帝都東京の門」として、上流の清洲橋と共に高く評価され、隅田川に架かる橋の中でも屈指の名橋となっています。
こちらもライトアップされていて、色はブルーで爽快なイメージです。

勝鬨橋

竣 工:
昭和15年6月
所在地:
築地と月島を晴海通りで結びます。
名 称:
日露戦争の勝利を記念し「勝鬨の渡し」と称したことから由来します。

隅田川の最下流の橋で、国内唯一のシカゴ型双葉式跳開橋です。全長約250mのうち中央部約44mが跳ね上がり、最大70度まで左右に大きく開き、大型船が通行できるよう仕掛けがあります。勝鬨橋は、昭和15年に開催を計画していた「東京万博博覧会」の会場・月島への凱旋門として建設されました。
双葉とは、両側に「ハの字」に開く橋桁を軽やかな葉っぱに例えた優雅な表現です。ふたつの橋桁が開くとき、シカゴの橋はバラバラに開くことがあるのですが、勝関橋では、そろって開き、そしてまた閉じるように工夫されました。日本人の美意識ですね。当初は毎日決められた時間に5回の開閉が行われていたようで、「ハの字」 に開いた橋の中央を大型船が通過する様は優雅であったといいます。
しかし、その名橋も船舶通行料の減少と道路交通量の増大により昭和45年以降、開くことはなくなったのです。現在そのたもとには、「かちどき 橋の資料館」があり、当時の貴重な資料や情報を展示・公開しています。

写真・東京都建設局提供

昔の跳開の様子

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